なぜ、人は借家ではなく持ち家を欲しがるのか?
「進学」「就職」「結婚」「出産」、さらには「転職」「独立」「海外移住」―― 人生には、いくつものライフイベントが存在します。加えて今日、長寿命社会を迎え、まもなく人生100年時代を射程に捉えようとする中にあって、「介護」「相続」「熟年離婚」といったイベントも身近な出来事になりました。
イングランドの劇作家シェイクスピアが「人生は選択の連続である」と言ったように、われわれは節目を迎えるたびに選択をしなければなりません。住まい選びも例外ではないのです。ゆったりと郊外で暮らすか、それとも便利な都心に住むか、エリア選定はとても重要です。そして、さらに重要となるのが賃貸か分譲かの選択です。自由気ままに生活できる借家暮らしを続けるか、生活の基盤を固めるべく持ち家を選ぶべきか?―― 私たちは失敗も後悔も許されない大きな決断を迫られるのです。
こうした背景にあるのが「自己決定社会」の到来です。今日では多様な生き方が志向され、また、その実現が可能な社会になりました。私たちは生まれた時から特定の職業に就くことを強要されず、特定の地域に住むことも強制されません。選択の自由が保証されており、自分の生涯を自分自身で選択・決定できるのです。選択した結果に対して自ら責任(結果責任=自己責任)を負うことで、選択可能な社会を生きられるわけです。これが「自己決定社会」です。
購入理由:資産を持ちたい、資産として有利
では、ここから本題に入りましょう。本サイトをご覧の皆さまは、マイホーム購入に関心をお持ちと推察します。なぜ、賃貸ではなく分譲を志向するのでしょうか?――
メジャーセブンが毎年行っている「マンショントレンド調査」(2020年2月発表)によると、マンション購入検討理由(TOP10)は次のようになりました。
マンション購入を検討している理由
- 資産を持ちたい・資産として有利だと思ったから
- もっと交通の便のいいところに住みたいから
- もっと広い住まいに住みたいから
- 都心に住みたいから
- 老後の安心のため
- 通勤に便利な場所に住みたいから
- 賃貸より持ち家のほうが金銭的に得だと思うから
- 現在は金利が低く、買い時だと思うから
- 家の設備が古くなってきたから
- 魅力的な物件や広告を見たから
第1位は「資産を持ちたい・資産として有利だと思ったから」です。ビンテージマンションに代表されるリセールバリュー(価格上昇による売却益)期待が「資産として有利」という動機付けになっているのでしょう。自分の子供たちに財産として残せるのも魅力です。生前贈与や相続を契機に、世代間の資産移動ができるのはマイホームならではの特権です。さらに、社会的ステイタスとしての威厳効果もあるでしょう。今なお、土地本位制の名残りとして「借家暮らしは半人前」との俗説がまかり通っています。「持ち家に住める」=「一定の経済力がある」との等式が成立し、社会的信用につながるのです。
ただ、近年、一部の高経年マンションは管理不全により“負動産”の汚名を着せられ、そこに資産としての価値を見出すのは困難な物件が散見されます。また、長らく住まい手のいない空き家も増加の一途をたどっており、ついに空き家率は13.6%(2018年)と過去最高を更新しました。利用ニーズの低下に伴い所有意識の希薄化が進行した結果、タダ(販売価格0円)でも買い手が見つからないという悪しき事態が社会問題となっています。マイホーム検討者には、資産価値の高い物件を見つけられるかどうか、将来性を予測する選択眼が求められるのです。
そう考えると、第7位の「賃貸より持ち家のほうが金銭的に得だと思うから」のほうが、より購入検討理由としては理にかなっているように思います。「家賃は掛け捨て」との損得勘定が働き、「持ち家のほうが金銭的に得」という理由につながります。
この点は私も同感で、第5位の「老後の安心のため」という検討理由にも結び付きます。住宅ローンを完済してしまえば、住居費負担は格段に低くなるからです。改善傾向にあるとはいえ、「高齢者は借りにくい」という風潮は今もって健在です。わが国の持ち家率は61.2%(2018年)です。うさぎ小屋や負動産と揶揄(やゆ)されながらも、国民の6割は持ち家に住んでいるのです。
マイホーム探しは「手段」であって「目的」ではない
冒頭で「自己決定社会」に触れました。選択可能な社会に生きている私たちは自由を保証されており、その点、住まい選びも多分に漏れません。リタイア後の豊かな生活を求めてマレーシアやフィリピンへ海外移住する人や、サブスクリプション(定額制)型の全国住み放題サービスを利用して自由気ままに居住地を転々とする生活など、ダイバーシティー(多様性)の名のもとに、住まいの“あるべき姿”は各人によって多様化しています。アドレスホッパーなる造語が認知度を高めている今日、住宅すごろくのゴールが「郊外の庭付き一戸建て」なのは遠い昔の話となりつつあります。
それだけに、これからの住まい選びには「目的意識」がより強く求められます。長引く不景気のせいで、近頃はプログラミング教室に英会話、さらには士業などの国家資格を目指して専門学校に通う人も少なくありません。「就職に有利になるように…」「給料アップのため」「将来の独立を考えて…」など、受験動機は様々ですが、いずれも資格取得にあたって合格が「目的」ではないはずです。
例外として、資格マニアの人にとってはライセンスの合格数が重要となるだけに、資格取得を目的としても構いません。他方、上述した有志ある人たちは就職や給与アップ、あるいは独立・起業が「目的」であって、合格そのものは「手段」でしかないはずです。資格取得は「通過点」に過ぎず、手にした資格をどのように活用するかが鍵となります。つまり、合格は「目標」ではあっても「目的」ではないのです。
こうした考え方は住まい選びにも当てはまります。住宅取得は男子一生の仕事と言われることがありますが、家を手にすることを人生の目的にしてしまったら、その目的が達成された段階ですべてが終わってしまいます。「家賃がもったいない」「もっと広い部屋に住みたい」「老後の住まいの確保」など、購入動機はそれぞれでしょうが、究極の目的は『本人と家族の幸せのため』でなければ意味がありません。マンションにしろ一戸建てにしろ、住宅そのものは屋根と壁に囲まれた「器」でしかないのです。その中でいかに「夢」のある生活が送れるかがポイントになります。
念願のマイホームを手に入れても、毎日、夫婦ゲンカが絶えないようでは困ってしまいます。新居への引越しは「スタートライン」(出発点)であり、「ゴール」(目的地)ではありません。 マイホーム購入は「手段」であり「目的」ではないのです。皆さんにとって、家を持つことの意味とは一体、何なのでしょうか?――たとえ借家暮らしでも「目的」が十分に達成されていれば、幸せな生活が確約されるわけです。自己決定社会を生きる私たちにとって、住まい選びに万人共通の『絶対解』はなくなろうとしています。